長島昭久|プロフィール

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新しい可能性にチャレンジするためには、古い自分の殻を思いきって打ち破らなければなりません。チャレンジの瞬間は、これまでのやり方や習慣を越えなければなりませんから、未知なる不安が襲ってきます。しかし、いったんその殻を突破すれば、その先には必ず新たなチャンスが巡ってくるもの。これまでの生き方から、私はそう実感しています。

【名  前】 長島昭久 (ながしま あきひさ)
【生年月日】 1962年2月17日 (寅年) 横浜生まれ
【血 液 型】  A型
【趣  味】 水泳、スケート観戦、司馬遼太郎、水彩画
【特  技】 どこでも瞬時に寝られること
【家  族】 2人の娘を持つ父として、妻とともに子育て奮闘中
【座右の銘】
「命もいらず、名もいらず、官位も金も望まぬ者ほど御し難きものはなし。しかれども、この御し難き者にあらざれば、国家の大業を計るべからず。」(西郷南洲遺訓)

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【『覚悟の瞬間』紹介記事 】
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長島の歩み



【青年期】
23年間慶應義塾に学び、「独立自尊」の福沢精神を徹底的に叩き込まれる。

高校生活最後の冬、ソ連の「アフガン侵攻」(1979年12月)を前に、政争に明け暮れる日本の政治家たちを見て、国際政治をリードできるような政治家が日本にも必要だと痛感。 高校時代には仲間とともに日本で初めてのラクロス同好会を創設、大学時代は応援指導部のリーダー長として早慶戦の大応援団を指揮する。

しかし、大学卒業の年に、内村鑑三の『後世への最大遺物』と出会い、このまま惰性の中で人生を送っていいのだろうか、としばし反省・・・。


【Challenge 1】 これまでの「遊び人生」に決別、でも初の「受験勉強」に苦しみました。

1986年24歳:
学士入学から大学院進学へ。新進気鋭の小林節助教授(当時)の下で、国家の基本法である憲法学を徹底的に学び、ティーチング・アシスタントとして司法試験や公務員試験を目指す後輩たちを指導。彼らの多くは、今でも私のよきサポーターです。

1990年28歳:
博士課程在学中に、石原伸晃衆議院議員の公設第1秘書、東京文化短期大学で憲法学の講師として教鞭をとり、「教えること」の難しさを実感。 一方、石原父子との交流や、新人代議士の地元責任者として地道な後援会づくりに汗を流した日々は、かけがえのない経験となりました。 92年の夏から、大前研一氏の主宰する「平成維新の会」の立ち上げに尽力し、新しい政治の流れを夢見て日夜奮闘。 しかし、このまま政治の世界に埋没していく自分に危機感を抱いて・・・






【Challenge 2】 太平洋を渡り国境を越える瞬間の緊張感は今でも忘れません。

1993年31歳:
単身渡米し、ヴァンダービルト大学客員研究員に。テネシー州ナッシュヴィルの田舎町で、朝から晩まで、寝ても覚めても「英語漬け」の日々。 ここで出会ったアジアの勤勉で優秀な留学生たちとの交流を通じ、本格的にアジアへの眼が開かれました。 ヴァンダービルト大学では、客員研究員として、レーガン政権時代に国防総省日本部長を務めたジェームズ・アワー教授に師事。

1997年35歳:
念願の首都ワシントンDCへ。国際関係論で有名なジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)で修士号取得。 特に、カーター政権の安全保障担当大統領補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキー教授のセミナーでAを取ったのが勲章。 論文「安全保障のビッグバン」で読売論壇新人賞の最優秀賞を受賞し、論壇デビュー。

1999年37歳:
米外交問題評議会で日本人初の上席研究員(アジア政策担当)に。97年夏から日本人初の研究員として外交問題評議会の「朝鮮半島和平構想」プロジェクトに参画。 そこで、リチャード・アーミテイジ氏(元国務副長官)、マイケル・グリーン氏(元NSC日本・韓国部長)やカート・キャンベル(元国務次官補)らに知己を得ることに。 そのほか、ワシントンでの5年間に、アメリカ政・官・学界で出会った多くの友人たちは貴重な財産です。 しかし、この10年、国際社会でみるみる存在感を失う祖国日本の衰退に、やもたてもたまらなくなって…!

  






【Challenge 3】 米シンクタンクの研究職をなげうって、やっぱり日本のために!

2000年38歳:
単身帰国して衆議員補欠選挙に初挑戦するも、一敗地にまみれる。ゼロからの再出発も、多くの方々から温かいご支援をいただき「人に生かされている」を実感しました。

2002年40歳:
初の著書『日米同盟の新しい設計図』(日本評論社)を出版。出版記念の集いには、ワシントン時代以来お世話になっている岡崎久彦さん、櫻井よしこさん、寺島実郎さん、屋山太郎さん、岸井成格さんら、そして恩師のジェームズ・アワー教授も駆けつけてくださる。

2003年41歳:
衆議院議員選挙に再挑戦、ボランティア、スタッフの皆さんの「市民パワー」に支えられ、81,398票をいただき、初当選を果たす。翌年、新人議員として国会での活動の傍ら、自著『日米同盟の新しい設計図』の改訂版を執筆。政府の米軍再編協議に一石を投じる。この年、民主党次の内閣で防衛庁副長官に抜擢。衆議院でも安全保障委員会の理事に就任し、最前線で小泉政権と対峙。

2005年43歳:
スタートラインに立って間もなく、民主党の「ネクスト防衛庁統括副長官」に抜擢。衆議院でも安全保障委員会の理事に就任。また、特別委員会ではイラク復興支援特別委員会の委員に任命され、最前線で小泉政権と対峙。










【Challenge 4】

2005年43歳:
9月の衆議院議員選挙で2期目の当選。小選挙区で議席を失ったのは、不覚。民主党惨敗の中、代表に前原誠司さんが選出され、新体制のもと「次の内閣」ネクスト防衛庁長官の重責を担うことになりました。これまでのしがらみを断った新たな「たたかう民主党」の誕生です。

2006年44歳:
9月、小沢一郎代表の下、政策調査会副会長、国対副委員長、外務委員会理事に就任し、安倍新政権に政策論争を挑んでいます。

2009年47歳:
9月、歴史的な政権交代。鳩山内閣で防衛大臣政務官に就任。
翌6月、菅内閣において引き続き、防衛大臣政務官を務め、防衛大綱を見直し、南西方面に動的防衛力を整備しました。

2011年49歳:
3月、東日本大震災における原発対処「日米連絡調整会議」の設置に尽力。
9月、野田内閣発足。内閣総理大臣補佐官(外交安全保障担当)に就任。数々の首脳会談に同行し、野田政権の外交を担いました。

2012年50歳:
10月、第三次改造野田内閣発足。防衛副大臣に就任。
森本防衛大臣をお支えし、北朝鮮のミサイル対応など国防の最前線に立たせていただきました。
12月、衆議院議員選挙で4期目の当選。民主党は大敗したものの、「外交安全保障に与党も野党もなし、あるのは国益のみ」という信念のもと、雌伏の時を歩みます。

2014年52歳:
衆議院で安全保障委員会筆頭理事、外務委員会筆頭理事を歴任。安倍政権に対して外交・安全保障の分野で、建設的・現実的な政策論争を挑む。
12月、衆議院議員選挙で5期目の当選。小選挙区で敗北し、比例復活を果たす。再起を誓います。

2015年53歳:
政治活動15年で国政報告会の開催は160回を超えました。地元の皆さまへの国政での取り組みのご報告は欠かせません。お祭りや地域行事にお邪魔してご意見・ご要望など皆さまのお声も聴かせていただいております。 また、外交・安全保障分野のみならず、深刻な状況にある「子供の貧困」の解決に向けて当事者や関連団体から実情をお聞きし、貧困の撲滅を目指して国会で精力的に取り組んでおります。子供たちのために「未来に誇れる日本」の実現を目指します!
立川市錦町のビル3階の事務所は、支援者や学生ボランティアの皆さんが集い、楽しく和気あいあいと活気に包まれています。